The History
ジロ・デ・イタリアやジロ・デ・ロンバルディア、ミラノ~サンレモ等、数々のレースで輝かしい戦績を収めたプロロードレーサー チーノ・チネリは 1948 年に引退し、自転車業界のベンチマークとなるべく、自身の工房「チネリ」を創業いたしました。 彼の工房はハイエンドバイク、コンポーネントを製造する工房へと発展いたします。 彼がプロレーサーであったと言う人もいれば、彼がアルミハンドルバー、樹脂ベースのサドル、ストラップやクイックリリース ペダルを生み出した人という人もいるでしょう。
1970 年代半ば、アントニオ・コロンボは、自転車、車 ( フェラーリ、アルファ・ロメオ等 )、バイク ( モト・グッツィ等 )、 航空機 ( カプローニ等 ) のスチールチューブの製造会社である「A.L コロンバス」に加わり、ストーリーは始まります。
彼は 30 代の頃、A.L コロンバスで、Breuer, Terragni, Bottoni, Figini, Pollini らの有名デザイナーと共に、高級なスチール チューブを用いた家具を製造しています。
1977 年、コロンボは A.L コロンバスの社長を辞任し、自転車用チューブの製造、開発部門を独立させました。 こうして自転車史において、もっとも有名なブランドの1つ「コロンバス」を生み出しました。
1978 年に、コロンボはチーノ・チネリ本人より「チネリ」を引き継ぎました。
アントニオ・コロンボは未来的な、斬新なアイデアを持っています。チネリは進化し、“ チネリデザイン ” の創作が世界中で 起こります。自転車が変われば、ビジョンも変わっていきます。自転車へのアプローチについても、変わっていくでしょう。 その結果ロードフレームで TIG 溶接を初導入した「Laser」が登場しました。1991 年の Compasso d’Oro にてデザイン賞を 受賞した唯一のイタリアの自転車であり、オリンピックや世界選手権で、28 個以上の金メダルを獲得しています。
レースマインドは、チネリの DNA に常に刻まれています。ランス・アームストロングやマリオ・チッポリーニはもちろんのこと ディルーカ、フレイレ、シモーニまでもがチネリのハンドルを選んでいます。
チネリは MTB の Rampichino(1985) をイタリアに導入しました。1987 年、バーテープにコルクを採用しました。 スピナッチバー (1996) は世界中で 80 万人ものサイクリストに愛用されました。2000 年、「ブートレッグ」はルールを壊し 新たなアーバンライドを提案しました。2002 年、「RAM」はハンドルバーに革命を起こします。
「MYSTIC(2009)」、「GAZZETTA(2010)」の登場により、イタリアから世界に新たなピストバイク革命を起こしました。 トラック用として誕生し、アメリカのメッセンジャーによって進化してきた ” フィクシー ” は、軽さや、スピード、使い勝手の 良さからアーバンライドには必要不可欠です。
「MASH(2009)」の登場により、チネリは歴史のあるカリフォルニアのバイクメッセンジャーグループとスチールパイプの提携を結んでいます。
2010年から2015年まで、チネリはピストバイクのナイトクリテリウムで世界的に有名な“レッド・フック・クリテリウム”の公式スポンサーをしています。
これらはチネリのルーツであり、今もなお続いています。チネリは Dizionario del Design Italiano や ADI Design Index にも掲載され、アメリカでは、フェラーリ、ベスパやフォルナセッティと同等に、カルトオブジェクトのメーカーと評されています
2013 年、Rizzoli 書店は、チネリの歴史と革新について「Cinelli The Art And Design Of The Bicycle」と表して刊行しました。
2014 年、衣類ブランドの「Chrome Idustries」と共に、世界中からライダーを集め、魅力的なクリテリウムレースを企画する ピストバイク専門のレーシングチーム「Team Cinelli Chrome」を設立します。
1997 年以降、チネリは Gruppo 社の傘下となり、コロンバスと共に世界のハイエンドバイクの中心的な存在となっています。